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不妊治療と日々の出来事が中心の不定期更新ブログ。


by ume-oa
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ガツンときました。

最近体調も戻り、心も順調に回復してました。
「いつまでもクヨクヨしてもしょうがない!」と思えるまでになってたし、今は早くも次の体外の事を考えていました。だけど…

処置をした病院に、染色体の検査の結果を聞きに行ってきました。
結果、染色体の並び方や数など、何も問題はなかったそうです。結果は全て英語で書いてあったので、先生がひとつひとつ説明してくれました。
だとしたら…心不全とかなのかな。あまりにも小さいし、赤ちゃんまで解剖したわけじゃないので原因なんて誰にもわからないんだよね。

先生が「性別は知りたいですか?」というので、何も考えなしに「はい」と言ってしまった私。
…「女の子でした」と告げられました。よくよく結果の書いてある紙を見ると「XX」と…。
男の子は「XY」、女の子は「XX」なんだそうです。
聞いた瞬間、見えない大きなハンマーで殴られたかのような衝撃を受けました。
女の子。ずっとずっと、私達が望んでた事。
今まで何十回、何百回と思ったけれど「なぜ生まれてこれなかったんだろう」とまた改めて思ってしまいました。

診察室を出ると、一ヶ月検診で訪れてたご夫婦に会いました。ベビーベッドに乗ってた赤ちゃんを見せてもらって色々話をしていたら、その赤ちゃんも女の子だそうで。
「私も順調だったら、こんなかわいい寝顔を見てたんだろうな~」と思うと、涙がこみあげてきました。「かわいい」と言いながら涙を目に溜めてる変な女だと思われただろうな。
さすがに他人の前では泣けないので、車に乗って泣きました。
もっと覚悟を決めてから性別聞けばよかった。
久々に、ガツンときました。へこむなぁ…。

とりあえず、性別が分かったので名前を付けなきゃ。別に戸籍にも何にも残らないけど、女の子とも言われず「XX」としてしか残らないんじゃあまりにもかわいそうだもん。
次は性別はもうどっちでもいいです。ワガママは言いません。健康で、五体満足で正常に生まれてくれたらそれだけでいいです。
…それにはまた治療しなきゃいけないけど、頑張れ自分~!!
無理やり渇入れて、前向きに生きていきます(笑)
# by ume-oa | 2007-04-05 16:00 | 思う事

泡、もっこもこ!

私の最近のお気に入りの食器洗剤、「泡のチカラ」。
たまたま入ったドラッグストアで見つけ、即購入。
「さて、どんなもんかな?」と使ってみたところ…

モッコモコです、マジで!!

香りもとってもいいの。なんとも表現しようがないんだけど、ちょっと軽めのグリーンガムの香りといった感じでしょうか…。
いつも最後に残るフライパンを洗う時は洗剤を付け足すんだけど、この洗剤はホントに頑張ってくれます。普通の洗剤と同じ量をドバっとスポンジに出してしまうと、あわ立てネットで立てた洗顔フォームのようにモコモコになり、ちょっとビックリしますが…
洗い物は一番嫌いだけど、ちょっとこの洗剤にしてから洗うのが楽しみになりました。(いつまでこの楽しさが続くかは微妙ですが)

最近の洗剤ってすごい進化してるな~って思います。ジョイは色素沈着したプラスチックも、何度も洗えばきれいになるってCMでやってるし。私は今まで、キュキュットの洗い上がりと香りが気に入って愛用してましたが、次は何が定着するんだろう。新し物好きな私は、そうやっていろんな消耗品に手をつけてはお気に入りを見つけるのが好きです。これって変?

話は変わりますが、ここ数日甘いものをやたらと欲してて、(今もエクレアをむさぼるように食べてます)「変だな~」と思っていましたが、流産後の初めての生理がきてくれました。
いつも周期の長い私の事、まさかこんな順調に来てくれるとは思ってもいませんでした。
体温つけてないと、いつ来るかわかんないもんなのね。今回は胸も張らなかったし。
うまくいけば、5月からまた採卵に向けてスタートできそう☆
うまくいけば、ですけどね(笑)
# by ume-oa | 2007-03-30 15:34 | 日常の出来事

なんだか複雑。

前々から「予感」はしていましたが…

旦那の従兄弟のお嫁さん(私とタメ)が、二人目を妊娠している事が判明しました。
なーんか「もしかしたら」って感じがしてたけど、ホントにしてるとは…。
私の予感、恐るべし!!
私より1年半くらい遅く結婚したのに、もう二人目。
できるところにはやっぱりポンポンできるんだねぇ。

私の中の小さな命が消えた頃、その子には新しい命が芽生えてたんだと思うと、複雑でやりきれない思いがします。
今は家族ぐるみで仲良しだし、二人で遊んだりもするけど、「よかったね」と心から言えてたかと言われれば「NO」だと思います。おめでたく思う気持ちもないわけではないけど、わが子をなくしてやっと一月経とうかという時期なので、正直微妙でした。
私、どんな顔して「よかったね」って言ってたんだろ。ひきつってなかったらいいけど…。

それともう一点私を複雑な気分にさせたのは、その子が第2子の妊娠を大して喜んでない事。
多分それが「当たり前」なんだろうな。
それに不安そうな感じが一切ないのも、羨ましいやらなんやら…。
なんの罪悪感もなくタバコを吸ってるのが「妊娠したら産まれるのが普通でしょ?」って言ってるようで、せつなくなりました。

翌日、その夫婦から「みんなで(その夫婦の両親も、うちの旦那の両親も)一緒にご飯食べよう」とお誘いがあったけど、旦那がやんわり断ってくれました。
「二人目おめでとう♪」ってお祝いのご飯会だろうに、なんでうちらを呼ぶんだろ。
別にもう立ち直ってはいるけど、こんなすぐに「妊娠おめでとう」の空気の中にいるのはきつい。
身近な人だけに、一層なんともいえない感じでした。


その日はちょうど赤ちゃんが旅立って一月経った日だったので、私達は二人で「追悼式」と称してご飯を食べに出かけました。
そして旦那といろいろと話し合いました。
妊娠することの難しさ、妊娠を継続させる事の難しさ、無事出産まで至る事の難しさ…。
お互い治療や流産を経験して、より一層命を授かる事、わが子に出会う事の難しさやすばらしさを実感したような気がします。
決して後ろ向きではなく前向きにですが「私達だけは、この子を授かった喜びや失った悲しみを忘れずにいよう」と新たに思いました。
# by ume-oa | 2007-03-27 12:38 | 思う事

予感は当たる。

私の嫌な予感は、何故か当たってしまいます。
今回流産する前に、出血があり、切迫流産と診断されて入院していました。
その出血がある前日の夜、ベッドに入ってからお腹にほんのわずかですが違和感がありました。痛いとか、重い感じがするとかではなく…なんと表現していいのか分からない違和感。
翌朝、真っ赤な血が出てきてしまいました。

そして赤ちゃんの心拍が消えてしまう前日。持ってきていたコンパクトミラーを病室の床に落としました。(絨毯がひいてありましたが)明けてみると、変な形にヒビが入っていたのです。
「縁起悪い…」と思い、二度と開きませんでした。
そして当日。看護師さんが心拍を聞きに来てくれたのですが、心拍が聞けませんでした。
まだまだ赤ちゃんが小さいので、いつもは気にしていなかったのですが、なぜかその時は不安になり、「まさか赤ちゃん死んでるなんて事ないですよね?」と看護師さんに聞いていました。
予感は当たり、夜には流産が発覚しました。

母に泣きながら電話をすると、「地震でもないし、強風が吹いているわけでもないのに、居間がミシミシと大きく鳴ったからおかしいと思ってた」と言っていました。何かの予感だったのかな。
私が入院中、旦那は実家に帰っていたのですが、その時も寝室のテレビからおかしな音が出ていたそうです。

そして何よりも妊娠してると分かってから、幸せなはずなのに、いつも心のどこかに不安がついて回っていました。
旦那がいろいろマタニティ用品なんかを揃えようとしていたけれど、「まだいらない」、「お腹が大きくなってからでいい」と準備する事に気後れしていたり、そうゆう品物を見ても「もうすぐ使うんだ」という実感が全くなかったり、やたら流産についての記述を読んだり…。(特に稽留流産の記事ばかり)何かの予感だったのかな。

でもホントに不思議。
テレビで「3人目ができたのですが、経済的に苦しくて…」と語っている人がいました。
そうゆう人には「妊娠したら必ず生まれてくる」という意識しかないんだな、と。
「妊娠しても、ちゃんと生まれてくるかな?突然死んだりしないかな?」なんて思わないんだな…。ちょっと羨ましいです。

いつかまた妊娠できたら、もう悪い事ばかりを考えるのはやめようと思います。
「無事に経過して、安産で産まれる」と思いこんでおこう!当たるかな?いや、当たってもらわないと困る!
それと今は、早く出血が止まって欲しいです。手術からだいぶたつのに、少量の出血が続いています。切迫で入院した時からずっとナプキンやおりものシートを使っているので、いい加減かぶれてかゆくなってきちゃいました。
# by ume-oa | 2007-03-09 14:12 | 流産のこと

たくさんの愛。

あれから2週間経ち、少しずつですが気持ちの整理もついたのでご報告します。
赤ちゃんは天国へ帰ってしまいました。
たくさんの愛を私達に遺して…。

本当に突然の事で最初はなかなか受け入れられなかったけれど、全く動かないエコーの映像を見ているうちに、「本当に死んでしまったんだ…」と理解せざるを得ませんでした。
翌日別の病院でも診てもらったけれど、やっぱり再び元気な姿を見せてくれる事はありませんでした。先生が書いていた文字は「子宮内胎児死亡」 「流産」…なんて嫌な文字だろう。
やっと少し膨らみはじめたお腹。相変わらず張り続けてる胸。まだ夜になるとやってきていたつわり。
なのになんでだろう…。

赤ちゃんを出すための「流産手術」と呼ばれるものは、とても痛いものでした。
ラミナリアを入れる痛み。初めて経験する陣痛…「これを乗り越えれば赤ちゃんを胸に抱ける」と思えるからこそ頑張れるのだろうけど、産んだところで元気な声も聞けないし、抱くこともできない…。虚しい気持ちでいっぱいでした。
そして手術の痛みより、気持ちの痛みの方が大きかったです。
心臓を鷲掴みにされるというより、えぐられるような痛み。喉を潰されたように胸が苦しくて、泣きながら呼吸がうまくできませんでした。

15週0日、死産という形で生まれてきました。
体重50グラム、身長12センチ。小さな小さな赤ちゃんでした。
手足の指、目や鼻もしっかりしていて、奇形はありませんでした。
赤ちゃんの全てが、私と旦那の遺伝子でできているんだ…私の摂った栄養を分け合って大きくなったんだ…そう思うとたまらなく愛しく、かわいくてたまりませんでした。
こんな小さな赤ちゃんが、確かに私の中にいていろんな体の変化をもたらし、エコーで可愛いポーズを見せていてくれたんだ…2日前に、元気な姿を見せてくれていたのにね。

赤ちゃんを火葬して2日後。旦那のおじいちゃんが亡くなりました。
ずっと小康状態だったのだけれど…私と旦那は「きっとおじいちゃんが赤ちゃんが寂しくないように一緒に天国に行ってくれたんだね」と話していました。
だけどお通夜の席でお義母さんが「ホントはね、おじいちゃんが先に亡くなって、赤ちゃんの命を助けてくれたら…って思ってたんだけどね」とポツリと言いました。
自分の父親の死と引き換えにしてでも、私達の赤ちゃんを救いたいと思ってくれていた…そう思うだけで感謝の気持ちでいっぱいです。

今回の事で、たくさんの人にたくさんの愛をもらいました。
一緒に泣いてくれた看護師さん、助産師さん。
頻繁に病院を訪れてくれた義両親。
いつも素っ気無いのに、お見舞いに来てくれた父。
遠いのに、何度も来て一緒に泣いて、落ち着くまでいてくれた母。
心配してメールをくれた友達。
赤ちゃんがダメになったと知って泣き崩れる私を支え、陣痛中に何十分も背中をさすり続け、手を握り、汗を拭いてくれた旦那。
そして…
たった4ヶ月だけど、私をママにしてくれた赤ちゃん…。
妊娠していると分かった日から、何にも換えがたい幸せな日々をくれたね。
いろんな人が祝福してくれた。旦那がより一層心配性になって、家事も全部してくれた。
赤ちゃん関係の本を、何度も繰り返し読んだ。「いってきます」 「ただいま」は、私より先にお腹に言ってた旦那…。もしかしたら、私以上に赤ちゃんが生まれてくるのを楽しみにしてたかもしれない。

25年生きてきて、辛い事や悲しい事は人並みにあったと思うけど、間違いなくこの子を失った事が人生最大の辛い出来事だと思います。
私とへその緒でつながっていたのに、日々成長していたのに、もういません。
手術のあと、へこんだお腹をなでた時の喪失感。「心にぽっかり穴が開く」…まさにそんな感じでした。
失ったものは、あまりにも大きかったです。
でも、赤ちゃんはたくさんの愛を遺してくれました。
私を支えてくれる人たちの愛。私も「ここまで愛しく思えるのか」というほど、赤ちゃんを愛していました。親や旦那に抱く感情とはまったく別の気持ちでした。

まだふとした時に涙がでてきますが、天国の赤ちゃんに安心してもらえるように少しずつ元気になっていこうと思います。
「ママを選んでくれてありがとう」と、泣かずにお骨に向かって言える日まで、時間はかかると思うけど、頑張ります。
# by ume-oa | 2007-03-06 10:35 | 流産のこと